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インド舞踊の宇宙観
シヴァ神のシンボル体系

シヴァはヒンドゥー教の最高神のひとりです。

本動画は大きく二部構成に分かれ、第一部ではシヴァの一つの相である舞踊の王「ナタラージャ」を取り上げ、その造形に込められた宇宙観を読み解きます。

次いで第二部では、中世の舞踊理論書『アビナヤ・ダルパナ』冒頭のシュローカ(歌)を手がかりに、その内容がインド舞踊理論とどのように接続されているのかを考察します。

​以下、動画のための用意したノートです。補助資料としてお使いください。

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Shiva as the Lord of Dance, LACMA. (Public Domain via Wikimedia Commons)

​世界を創った舞踊の王「ナタラージャ」

こちら、ナタラージャの像です。「ナタラージャ」は最高神シヴァの一形態で、ナタ(नट)は踊り、ラージャ(राज)は王という意味です。踊りの王です。世界も宇宙もぜんぶ、ナタラージャが踊りながら創ったという神話があります。

第一部では、このナタラージャ像の造形が体現するシンボル体系を紹介します。

ナタラージャ像はインド旅行のお土産としてなにか置物を買って帰る、その人気第一なのだそうです。そこにはやはり意味があるわけです。それだけよくできている。「これがインドだ」という感じがする。その「これがインドだ」と感じる所以を解剖しましょう。

 

具体的にはその造形的特徴とそれに対応付けられた概念、そして概念が構築する世界観、宇宙観について考えます。

まづシヴァとは何者か。シヴァはインドの、ヒンドゥー教の最高神のひとりです。ひとり、というのはインドには最高神がたくさんおります。最高神が複数いるのはおかしいのですが、インド人はそれを成立させる理屈をつくっている。

もっとも有名なのは「ブラフマー」と「ヴィシュヌ」と「シヴァ」、それぞれ「創造」と「維持」と「破壊」を担うのですが、三体でひとつである、実はひとりである、というので三神一体(トリムルティ)ということになっています。実はひとつだから最高神が複数いていいのだという理屈です。

ほかに有名な最高神としては「クリシュナ」というのがおりまして、ヒンドゥー教最大の聖典で『バガヴァッド・ギーター』というのがありますが、そこでクリシュナは最高神としての姿をあらわす、ということになっています。

 

そしてそのクリシュナは、ヒンドゥー教ユニヴァースのなかで、ヴィシュヌの「化身(アヴァターラ)」であるということになっている。化身というシステムによってクリシュナとヴィシュヌは一緒なんだという設定にしてあるわけですね。

これは、最高神を熱烈に崇拝する態度と、しかし複数の神を崇めることを共存させる工夫ですね。ある最高神は別の最高神を排除しない。そうではなくて、実はひとつなんだ、という理屈をつける。その結果こんがらがって綺麗に整理されないことがあるわけですが、その無理の仕方がチャーミングで面白い、インド的としか言いようのない魅力を放っています。

さて、問題の舞踊神・ナタラージャですが、これはシヴァのひとつの「相(ムールティ)」であります。シヴァが歴史的にどんどん大きくなって、いろんな神を吸収していった。吸収したものがそれぞれ「相」ということで存続する。どうもインド的精神は「上書き保存」をしたくないらしく、一つのフォルダにいろんな神様を入れていくのです。

シヴァは、もっとも古い起源としては、インダス文明の遺産のうちにのちにシヴァの特徴とされるような類似の意匠があるといわれています。モヘンジョダロとかハラッパーとかのあのインダス文明です。ただインダス文明については文字が解読されていなかったりで、わからないことが多い。

 

しかしシヴァ神はどうやらアーリア人の侵入の前から存在した、土着のひとびとの神であった、これは確かなことのようです。ヒンドゥー教は先住民の信仰と、アーリア人がもってきたヴェーダの宗教すなわちバラモン教が混合して出来たものですが、シヴァの起源は先住民、土着のほう、つまりより古い層の神様である。ここはポイントとして押さえておいてよいでしょう。

さてこのくらいを前提知識としておさえておいて、ナタラージャの造形を見てみましょう。

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Shiva Nataraja, Lord of the Dance, Art Institute of Chicago (Public Domain via Wikimedia Commons)

まづ、すぐにわかるのは炎の円ですね。これは宇宙全体が顕現しているよ、全体性、そして調和を象徴しています。また炎というのは破壊ですから、創造と破壊が絶えず循環している、その永遠の往還、あるいは輪廻を示すとも読めるでしょう。

それから下にあるのは蓮の花。蓮の玉座にまします神様というわけです。蓮は意識の覚醒を象徴している。そこにシヴァが右足で立っていますが、足元に小さなバケモノが踏んづけられています。これはアパスマーラという鬼です。この小鬼はなかなかに「Kawaii」ですが、幻影と無知を意味します。

続いて左足。左足を持ち上げて実にいい具合にバランスをとっている。大地から離れている、この左足は、地上的なるもの俗なる世界への囚われからの解放、執着の克服を意味します。

そして四本の手。これもそれぞれ意味がありまして、まづは上のほうにある右手に、小さな太鼓を持っている。これはダマル(damaru)といって創造のリズムを鳴らしているとされます。太鼓を鳴らすと聖音、オーム(Om)が響くのだそうです。

反対側に行きまして上のほうの左手を見ると、手に炎を乗せている。これはアグニという炎の神様です。芥川龍之介が『アグニの神』という小説を書いています。この炎はすべてを燃やしつくす、破壊とか崩壊を象徴する。つまり右手と左手でそれぞれ創造と破壊を担っているのです。

そしてその間に位置するのが、顔と、もう一対の手です。

表情は極めて落ち着いて静かなものです。そして隠れていますが、シヴァの眉間には第三の目がある。これは聖なる知識と洞察の象徴で、幻影に満たされた世界を貫いて真実の世界を見通すのです。

手の造作もしなやかで美しい。創造と破壊のあいだで、それらが溶け合うようにして、調和が成立していることを示しています。

右手は手のひらを正面に向けています。これは堂々たるもので、恐れないこと(fearlessness )を意味している。実に美しい手のひらです。恐れるなかれ、と言っているような、力強さがあります。

そして左腕はもちあげた左足と平行に走り、手のほうは左足を指しています。左足は現世の束縛からの解放を意味していると言いましたが、それを強調しているわけです。

で、頭の横のほうから左右に髪の毛がグワーっと伸びている。これは非常にダイナミックな造形で、踊りのエクスタシーを表現しています。恍惚たるリズムを感じます。

そしてコブラが体に巻き付いていて、右手の横にひょこっと顔を出しているのが見える。コブラは「クンダリーニ」という力を表しているとされます。ヨーガをやっているひとはクンダリーニ・ヨーガなどと聞いたことがあると思います。クンダリーニは人間の身体に秘められた力です。背骨に眠っていて、ヨーガの瞑想によって解放されるのだそうです。

さて、このようにナタラージャの造形は豊穣です。実ににぎにぎしい。しかし、やかましくない。それは調和しているからです。強力なエネルギーがこの円の内部に凝縮しているのを感じます。動中静あり。静中動ありです。

そうしてじっとこの造形を見て感じるのは、「ここにはすべてがある」という感覚です。

言葉にすると、全体性とか完全性とでも言えるでしょうか。なるほど確かにここに全宇宙が存在するという感じ。宇宙そのものであり、すべてを飲み込むブラックホールだ。そう信じてもよいかもしれない。いや信じてみる。そう考えると、われわれは信仰の世界に踏み込んだことになるでしょう。

ここではナタラージャは、いわば一神教的な性格を帯びた神となっています。ブラフマーもヴィシュヌも必要ありません。ナタラージャが創造も維持も破壊も担う、絶対者です。彼がすべてである。瞑想によって真実を見て、幻想と無知に打ち勝ち、俗なる世界から自由になるという価値観まで提示されています。

注意すべきこととして、ナタラージャ自身が炎の円環の中にいるということです。神は世界の外にいない。神は外部ではない。ナタラージャが世界をつくるわけですが、彼自身が世界そのものでもある。そういう世界観です。

ナタラージャ・ヴァンダナの意味するもの

続いて第二部では、ナタラージャとその世界観が、インドの舞踊理論においてどのような役割をになっているか、あるいはどう扱われているのかを見ましょう。

インド舞踊理論の二階部分に相当する『アビナヤ・ダルパナ』の冒頭におかれたシュローカを取り上げます。シュローカというのはインドの伝承文化全般で用いられる詩節のことです。要するに歌です。

Natraj Vandana2.png

これはシヴァ=ナタラージャに捧げられたものです。シヴァを描写し、シヴァを讃えています。これが『アビナヤ・ダルパナ』の冒頭に置かれている。すなわち、舞踊理論においてはシヴァ神が最も重要な位置を占めているということです。シヴァが宇宙そのもので、世界に意味を与える存在であると歌っています。

『ナーティヤ・シャーストラ』との違いを整理してみましょう。古代から中世に至り、いくつかの変化並行して進んでいることがわかります。

第一に『ナーティヤ・シャーストラ』は「ナーティヤ」という総合藝術の理論書でしたが、『アビナヤ・ダルパナ』は特殊舞踊のための理論書であること。第二に、『ナーティヤ・シャーストラ』において補足的な役割しか与えられていなかったシヴァ神が、『アビナヤ・ダルパナ』が最高神の地位に昇格していること。

このことはおそらく、アーリア人の信仰体系であるバラモン教から、それが土着の信仰と融合して成熟したヒンドゥー教の興隆というインド史の変遷を反映しているでしょう。ここがひとつの注目点です。ヒンドゥー教の発展と、神の序列の変化と、理論の細分化ですね。

さあ、ここからが佳境です。

このシュローカの文言にはある仕掛けがありまして、その仕掛けによって、『ナーティヤ・シャーストラ』と理論的な接続がなされているのです。すなわちこのシュローカには、「アビナヤ」を構成する四種の概念が埋め込まれている。

どういうことか。まづ『アビナヤ・ダルパナ』とは「アビナヤの鏡」という意味です。舞踊理論において「アビナヤ」が最重要概念として位置づけられている。では、アビナヤとはなにか。アビナヤは『ナーティヤ・シャーストラ』に登場する概念で、「ナーティヤ」の構成要素のひとつなんです。

『ナーティヤ・シャーストラ』によれば、「ナーティヤ」はすでに成立していた四つのヴェーダ(神の言葉)から「言葉」「音楽」「身振り」「情緒」を集めて来てつくられた。そして、そのうち「身振り」に相当するのがアビナヤ(Abhinaya)なのです。

アビナヤ(Abhinaya)とは、観客をある「情緒(Rasa)」​に向かわせる、導くための技法のことを言います。その技法は四種類であると、『ナーティヤ・シャーストラ』は述べます。すなわち、

  • アンギカ(Āṅgika):身体による表現。

  • ヴァーチカ(Vācika):言葉による表現。

  • アーハーリャ(Āhārya):装飾による表現。

  • サートヴィカ(Sāttvika):内面の感情(が身体に現れること)。

 

であると。

Natraj Vandana1.png

ここでつながりました。ナタラージャ・ヴァンダナはその詩節において、このアビナヤの四種を用いてシヴァを描写しています。シヴァを説明しシヴァを讃える言葉が、アビナヤで構成されているのです。つまりアビナヤはシヴァである。シヴァはアビナヤで出来ていると言っている。

これは見事な工夫です。ここにおいて踊って世界を創ったというナタラージャ神話と、『ナーティヤ・シャーストラ』以来の舞踊体系が、完全に接続されるわけです。素晴らしい概念操作です。

整理しましょう。『アビナヤ・ダルパナ』は『ナーティヤ・シャーストラ』の概念と理論構成を利用して、特殊舞踊のための理論を整えようとした。

そこで『ナーティヤ・シャーストラ』の構成要素のひとつである「アビナヤ」概念を頂点にもってきた。また『ナーティヤ・シャーストラ』では補佐的な役割でしかなかったシヴァを最高神に配置した。そしてアビナヤの四要素を用いてシヴァを描写するシュローカを冒頭に配置し、世界観を統合した。

 

鮮やかなパラダイムシフトです。舞踊でいちばん大事なのはアビナヤである。アビナヤによってシヴァが出来ている。そしてそのシヴァは、宇宙ぜんぶなのであると。

これで終わりです。

わたしがお願いしたいのは、インド人のこの概念好き、理屈好きを面白がることです。彼らは第一に、神話の知、スピリチュアルな世界とのつながりを前提にします。第二に、そのうえで体系を作り、全体を語ろうとしている。そして第三に、そのためにほとんど力技ともいうべき概念操作を執拗に行っています。

概念を細かく敷き詰めて、理屈をつなげて、世界像を示そうとしている。そのような態度は、われわれは日本人には異質なものだ。だから学ぶ意義がある。逆に言えば、ここを無視してはいけないとわたしは考えます。

なお、『ナーティヤ・シャーストラ』も『アビナヤ・ダルパナ』も元来は口承されてきたもので、固定したテクストをもたなかった。だからこのような「読み」が出来るかたちに構成されたこと自体が、おそらく近現代のヒンドゥー復興以降と思われます。

しかし重要なことは、インド舞踊は少なくともそのように「解釈」できるように、遡及的に「編集」していったということです。そのような意志の存在はあきらかです。それは多分にインド的であるとわたしは思います。

参考文献

 

書籍

  • Kathak: The Dance of Storytellers;  Rachna Ramya  2019

  • The Mirror Of Gesture   Ananda K.Coomaraswamy; Gopalakrishnayya Duggirala 1917

  • Dance Gestures: Mirror of Expressions: Sanskrit Text with English Translation of Nandikesvara’s Abhinayadarpanam; P. Ramachandrasekhar 2007

  • The Natyasastra: English Translations With Critical Note; Adya Rangacharya 1984

  • ヒンドゥー神話の神々; 立川武蔵 2008

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