江戸川カタック社
北インド古典舞踊カタックを学ぶ教室です。
完全解説:カタック公演
コーマル・クシュワニさんソロ公演50分
カタックを初めて観る方や、より深く理解したい方に向けて、50分の公演を日本語副音声で解説しました。本ページでは動画の補足資料を公開します。
江戸川カタック社はカタックに関する知的な言説の整備を活動の重要な柱としています。日本人が日本語でカタックの全体像を理解できる状態にすることが目標です。
その最初の仕事が本ホームページに掲載の「カタックについて」です。通読していただければ、どのような歴史的経緯でカタックという舞踊形式が誕生し、いまどういう状態にあるかがおわかりいただけると思います。
二番目の仕事が上掲の動画及び以下の文章、「完全解説:カタック公演」となります。コーマル・クシュワニさんという現在インドの首都ニューデリーを拠点に活動されているダンサーのソロ公演を日本語副音声で解説します。
基本的には音声解説で十分と思いますが、なにぶん情報量が多いため、補足として文章も書くことにしました。理解を深めたいとき、また用語を調べたいときなどにご活用ください。
「カタックについて」とあわせて見る/読むことで、カタックについての総合知が形成されると信じます。
経緯を説明いたします。
2025年の5月、わたしはニューデリーに行き、かねてからのオンライン友達であったコーマル・クシュワニさんを訪ねました。そこでいろいろとお話する中で、ふと日本語による副音声解説というアイディアを思いつきました。
コーマルさんは2022年のあるイベントでのソロ公演を自身のユーチューブチャンネルに上げている(こちら)。全篇をそのまま公開する例は多くありません。
コーマルさんは極めて正統な教育を受けてこられた方で、純粋な古典を追求している若手のトップダンサーのひとりです。そしてその公演は、伝統的なカタックの公演様式に則った標準的なスタイルを提示しています。理想的な「基準」と言えるでしょう。
「基準」は大事です。基準がわかると、ほかのダンサーの表現の文脈や挑戦や指向が見えるようになるからです。他の流派のダンスを見る、またコンテンポラリースタイルを見たときに、基準からの距離からその本質を測ることができます。
公演でおこなわれている演目や技術、背景について日本語で解説をし、その音声を重ねてアップロードすれば、カタックを始めて見る、あるいはより深く知りたい日本人にとって、素晴らしい贈り物となるのではないか。
コーマルさんは、「光栄です。是非やってください」とご快諾くださいました。
わたしは解説のためのノートを英語でつくり、質問事項とあわせてコーマルさんに共有し、フィードバックを頂きました。そうした遣り取りを数回重ね、これでよいとの確証をいただきましたので、こうしてお披露目する段にいたりました。
わたしの申し出をこころよく了承いただき、また数度にわたる懇篤な教示をたまわりました。コーマル・クシュワニさんに心からの感謝を申し上げます。
以下、あくまで動画の補助となりますので、これだけ通読してわかるようには構成していません。歌舞伎や能の公演で見かける音声解説+パンフレット、そのパンフレットにあたる部分とお考えください。
目次
公演解説
インドの伝統舞踊「カタック」
カタックはインドにおける八大古典舞踊のひとつで、その起源は古代北インドを巡り歩いた語り部たちカタカ(Kathakar)にさかのぼります。サンスクリットでカタ(Katha)は物語という意味で、物語を語る人をカタカと呼んだのです。
やがて中世ムガル帝国の時代、カタカたちの舞踊は宮廷に取り入れられ、ペルシアや中央アジアの舞踊の要素を取り込み、洗練された独自の様式へと発展しました。ヒンドゥーを基盤としながらもイスラームの影響を受けている点に、カタックの独自性と普遍的な魅力があります。
イギリス植民地支配の時代には抑圧され、周縁化されましたが、インド独立後には芸術を通じて国民的アイデンティティを再発見しようとする動きの中で復興しました。
現代カタックを代表する巨匠としては、ラクナウ派のビルジュ・マハラジ(Birju Maharaj, 1938–2022)が広く知られています。演目を整備し、教育機関をつくり、世界中で公演を成功させ、カタックの地位を高めました。
コーマル・クシュワニさん
コーマル・クシュワニさんは、ビルジュ・マハラジの息子であり、ラクナウ派を率いる正統な継承者のひとり、ジャイ・キシャン・マハラジ(Jai Kishan Maharaj ji 1962-)の高弟です。
3歳からカタックを始め、カタック教育の最高峰「カタック・ケンドラ」を主席で卒業されました。現在はニューデリーを拠点に、自ら主宰する教室 「Komal Khushwani Kala Sabhyata Kathak Sansthan」(直訳すると「コーマル・クシュワニ 芸術・文化カタック学院」)で後進の指導と普及活動に力を注いでいます。
ご本人の言葉を借りれば、カタックは「純粋で神聖な、霊的実践」です。二十年以上にわたる研鑽のなかで、彼女にとってカタックはもはや自身と不可分の存在になりました。「カタックはわたしの魂の言語であり、呼吸そのものです。わたしの細胞はカタックのためにある」と語っています。
彼女のスタイルは、ど真ん中、王道の追求です。ボリウッド風のダンスやコンテンポラリーへの接近、SNS受けする派手な要素は避け、師から受け継いだ伝統技法の研鑽に徹しています。純然たる正統派と言えるでしょう。
卓越した技術力とリズム感覚によって、カタックの最大の魅力である「身体によるリズムの可視化」を最高の水準で実現します。身体能力が高く、速い動きの中でも美しい線を保ち、品位を失いません。アビナヤによる神話的な表現にも長け、これは年齢を重ねるにつれ深化するでしょう。
恵まれたた才能、正統な教育、本人が意志するスタイル。総合して、彼女のカタックを見ることは、始めて見るひとにとっても、これから学ぼうとするひとにとっても、これ以上ない「基準」であること、疑いようがありません。
インドの舞踊理論
インド舞踊の理論は、バラタ・ムニの『ナーティヤ・シャーストラ』とナンディケーシュヴァラの『アビナヤ・ダルパナ』を基礎としています。これらの古典に基づく主要な概念の大枠を以下に示します。
1,ラサ/Rasa(美的陶酔)とバーヴァ/Bhava(感情)
舞踊の(のみならず全藝術の)究極の目的は観客を「ラサ」と呼ばれる美的陶酔に導くことにあるというのが『ナーティヤ・シャーストラ』の説くところです。
ラサは「バーヴァ」という種々の感情が霊的な次元に昇華した状態を指します。「ラサ」と「バーヴァ」は相互補完的な概念で、一方なくして他方は存在しません。ダンサーが表現するのは「バーヴァ」です。観客が受け取るのも「バーヴァ」です。それが観客の精神における内的な変成によって、「ラサ」に達します。
藝術が表現者と観客の共同作業によって完成することを綺麗に理論化している。こうした理論体系がおそらくは紀元前後には整備されていたのは驚くべきことです。
2,アビナヤ/Abhinaya(表現技法)
アビナヤは観客をラサに導くための技法を言います。例えば、表情のつくりかた、手の所作、化粧など。これら感情や出来事を説得的に表現するための方法=アビナヤは四つの要素から成ります。
・ヴァーチカ(Vaachika):言葉による表現。詩や歌。
・アンギカ(Aangika):身体による表現。ダンス。
・アーハーリャ(Aaharya):装飾による表現。服飾、アクセサリー。
・サートヴィカ(Saatwika):思考・瞑想による表現。内面の感情が自然に身体(特に顔)に現れること。
3,タンダヴァ(Tandava)とラースヤ(Lasya)の二項図式
表現の種類を二項対立で把握するための概念です。力強く男性的な表現をタンダヴァと呼びます。激しく、躍動的で、エネルギッシュな動きです。対して、優雅で女性的な表現をラースヤと呼びます。やわらかく、繊細で、しなやかな動きです。
タンダヴァは破壊神シヴァ神に由来し、ラースヤはシヴァの妻パールヴァティ、またクリシュナやラーダに関連付けられます。タンダヴァとラースヤを自在に行き来できることが優れた表現者の条件となります。力強い動きと優雅な動きを巧みに切り替えられ、その両者がともに説得的であれば、優れた表現であるといえるでしょう。
4,ヌリッタ(Nritta)とヌリティヤ(Nritya)の二項図式
インド舞踊理論はタンダヴァ/ラースヤとは別に、表現の種類を二項対立で把握するための概念をもうひとくみ持ちます。こちらのほうがよく使います。ヌリッタとヌリティヤです。
ヌリッタは純粋舞踊(Pure Dance)、抽象舞踊(Abstract Dance)などと訳され、意味のない、かたちとリズムによるダンスです。ヌリティヤは表現的舞踊(Expressive Dance)、解釈的舞踊(Interpretative Dance)などと訳され、物語や感情を表現するダンスです。
上記「ラサ」と関連するのはヌリティヤで、だから実践レベルではヌリティヤとアビナヤが同じような文脈で使われることがあります。
理屈だけで言えば抽象表現であるヌリッタにラサは関係ありませんが、どのような表現も混じりっけない100%のヌリッタあるいはヌリティヤということはないので、やはり常にラサへの道は開かれていると考えるべきでしょう。
なお、「ヌリティヤ」は一般名詞として「舞踊」や「ダンス」そのものをまた意味しますので、この二項図式から離れて使われる場合には単に踊りのことを指していると考えて差し支えありません。
カタックの公演構成
カタックの公演の標準的な構成は以下のとおりです。
1,ヴァンダナ(Vandana) 祈禱という意味。神々を讃え、招喚します。
2,ヌリッタ(Nritta) 遅いテンポから始め、徐々に速くしていきます。
3,ヌリティヤ/アビナヤ(Nritya/Abhinaya)物語や感情を伝える表現的舞踊です。
今回解説させていただいたコーマル・クシュワニさんの公演は、この順序の通りに進み、ほぼ1時間ソロで踊ります。
カタックに限らず、インド古典舞踊はソロの公演で1時間もたせることができるだけの多彩な表現と豊富な演目をそなえます。例えばバレエ、日本舞踊、ヒップホップなどで、ひとりで1時間踊ることは珍しいでしょう。これが「標準」であるあたり、インド舞踊の豊穣さに驚かされます。
もちろん、カタックにはデュエットや群舞もあり、その場合は1時間半〜2時間に及ぶこともあります。しかし大まかな構成、ヴァンダナ→ヌリッタ→ヌリティヤの流れは変わりません。
公演解説
オープニング
冒頭に映し出されるのは知識、音楽、芸術、知恵の女神であるサラスヴァティの像です。インドの舞踊公演の舞台にしばしば飾られます。弦楽器のヴィーナを手に持っています。サラスヴァティは日本では弁財天となり、ヴィーナは琵琶に変わりました。
シヴァ・ヴァンダナ(Shiva Vandana)
ヴァンダナ(Vandana)は「祈祷」を意味し、舞踊の冒頭でおこなわれる、いわば儀式的な演目です。踊り手は神への祈りを捧げ、神聖な存在をその場に招き、霊的な力を招喚します。
この公演ではシヴァ神に捧げるシヴァ・ヴァンダナが踊られます。この流儀で「ヴィシュヌ・ヴァンダナ」「グル・ヴァンダナ」など様々なヴァンダナが存在します。
歌声に「オーム・ナマハ・シヴァーヤ(Om Namah Shivaya)」と聞こえます。これは特にシヴァ派にとって重要なマントラで、「吉祥なる者をたたえます」「シヴァ神を崇拝します」というような意味です。
シヴァ神は三叉の槍(Trishula)を手に持ち、頭頂で天から降るガンジス川を支え、首には蛇を巻き、額には三日月を飾ります。額に描かれる三本の横線はシヴァ派の信者が用いる聖なる印、トリプンドラ(Tripundra)と呼ばれるティラカ(Tilaka)です。
シヴァは「舞踊の王」ナタラージャ(Nataraja)としても知られ、「ナタ(Nata)」は舞踊、「ラージャ(Raja)」は王を意味します。
ナタラージャは右足で無知を象徴する悪魔を踏みつけ、右手に創造の音を表す太鼓を持ち、左手には破壊を象徴する炎を掲げます。額の第三の目で悪を滅し、周囲を取り巻く炎の輪は創造と破壊の永遠の循環をあらわします。シヴァは踊って世界を創造します。
シヴァの妻はパールヴァティー(Parvati)で、二人の子は知恵の神で象の頭を持つガネーシャ(Ganesha)と、戦争の神スカンダ(Skanda)です。
ヌリッタ(Nritta) ティーンタールで
ここからはヌリッタ、すなわち純粋舞踊のパートに入ります。
タール(Taal)は北インド古典音楽で用いられるリズムサイクルです。特定の拍を有するリズムのまとまりが循環していきます。ダンサーはここにそれぞれ特徴をもったヌリッタの演目を連続的に乗せていきます。それゆえタールはダンサーのキャンバスであると言われます。
最も一般的かつ基本的なタールが16拍で構成されるティーンタール(Teen Taal)で、「タールの王」と称されます。ゆっくりしたテンポ(ラヤ)から徐々に速くしていきます。
ヴィラムビット・ラヤ(Vilambit Laya)
ラヤとはテンポ、速さのことです。ラヤには三種類あり、ヴィラムビット・ラヤは遅いテンポです。
以下、具体的な演目です。
ガネーシャ・パラン(Ganesh Paran)
パラン(Paran)はヌリッタの代表的な演目のひとつで、パカワジ(Pakhawaj)というインドの太鼓の音を模した音節でつくられたリズム構成です。音節の特徴はおおがらで躍動的であることです。
ガネーシャ(Ganesha)、またの名をガナパティ(Ganapati)は、シヴァとパールヴァティーの息子です。人間の体に象の頭を持ち、一本牙を有し、鼠に乗ります。あらゆる障碍を取り除く神として知られ、吉祥の神とされています。ガネーシャ(Ganesha)は仏教に取り入れられ、歓喜天や聖天として崇拝されています。
タタカール クラム・ラヤ(Tatkar Kram Laya)
タタカールは足踏みです。基本の足踏みそのものであり、また足踏みによるリズム遊びをメインとする演目の名前としても用いられます。
クラムは順序、連続、または段階を意味し、「クラム・ラヤ」は「ラヤ=テンポ」を、階段をのぼるように段階的に引き上げます。ここでは1拍を細かく割っていくことにより、テンポを上げます。
この進行はグン(Gun)=「割る」という概念で表現されます。このタタカールでは、1拍を以下の数で順々に割ることで、少しづつテンポが速くなります。割り切れない場合は強引に合わせています。
0.5 → 0.75→ 1→ 1.5→ 2→ 2.5→ 3→ 3.5→ 4→ 5→ 6→ 7→ 8
ティハイ(Tihai)
ティハイは、特定のフレーズを3回繰り返すことを指します。1回目は挨拶、2回目でパターンが明らかになり、3回目で観客の意識と同期し、大きな喜びを生み出します。ティハイは必ずサム(Sam タールの頭拍)で終わります。単体の演目としても成立しますが、ほかの演目の最後の締めとして登場することも多いです。
タート(Thaat)
タートはゆっくりとした優雅でしなやかな振りを基調とした演目です。胴体、目、眉、首、手、視線の繊細な動きを特徴します。
ウターン(Uthaan)
ウターンはしばしばタートと組み合わせて披露されます。「ウターン」という言葉は、ヒンディー語またはサンスクリット語に由来し、「持ち上げる」「立ち上がる」「上昇する」といった意味を持ちます。タート(Thaat)が静的で優雅な表現を特徴とするのに対し、ウタン(Uthaan)はよりリズミカルで動的なリズムと動きをもちます。
パラン・ジュディ・アマド(Paran Judi Aamad)
ジュディ(Judi)は「組み合わせる」を意味し、既出のパランと「アーマド」という演目を合わせたものです。「アーマド」はペルシア語に由来し、「始まり」を意味します。「タ・テイ・タッ(Ta Thai Tat)」と音節のみを用い、ゆっくりと洗練された表現を行います。
ラディ(Ladi)
ラディは、複雑でしばしば高速なタタカールのパターンが連なった演目です。ラディは「鎖(くさり)」という意味。踊り手は花輪を編むようにリズム構成を重ねていきます。ダンサーのリズム感と足元のテクニックの熟練を楽しみます。
タブラ・ソロ(Tabla Solo)
タブラというインドの太鼓のソロば挿入されます。下手に座す奏者の楽器は次のとおり。
タブラ(Tabla):カタックのリズムの核心を担う楽器。17から18世紀に完成。
パカワジ(Pakhawaj):タブラより大きく、深い音を出す。力強いリズムを支える。
ハーモニウム(Harmonium):メロディと歌の基盤を提供。西洋由来。
シタール(Sitar):弦楽器。鮮やかなメロディと色彩を加える。
サランギ(Sarangi):弦楽器。人間の声に最も近い音色を持つと言われる。
マッディヤ・ラヤ(Madhya Laya)
遅いテンポのヴィラムビット・ラヤの次は、ちゅうくらいのテンポのマッディヤ・ラヤです。およそ倍のテンポと言われますが、厳密なものではありません。ダンサーが手で拍子を打ち、テンポを示します。
クリシュナ・カヴィッタ(Krishna Kavitta)
カヴィッタ(Kavitta)は詩です。特に、中世のバクティ運動に由来する詩はカタックに大きな影響を与えました。カヴィッタでは詩の言葉がボル(リズム音節)に織り込まれ、タール・システムの中で歌われます。
最も好まれるテーマはクリシュナ(Krishna)です。 クリシュナ(Krishna)はインドで最も人気のある神です。幼いクリシュナはいたずら好き、青年期には勇敢で悪魔を倒し、困っている者を助けます。大人になったクリシュナはカリスマ性に溢れ、女性たちの愛の対象となります。
聖典『バガヴァッド・ギーター』ではアルジュナにヒンドゥー思想を説く御者役で登場します。またジャヤデーヴァ作『ギータ・ゴーヴィンダ』に描かれるクリシュナとラーダの物語は有名です。
神話体系の中ではクリシュナはヴィシュヌ神の化身とされます。ヴィシュヌは世界の守護者で、チャクラ(Chakra、円盤状の武器)、シャンカ(Shankha、パーンチャジャニヤと呼ばれる法螺貝)、ガダ(Gada、棍棒)、パドマ(Padma、蓮の花)を手に持ちます。
本公演のカヴィッタでは、クリシュナと関連人物たちの特徴が描写されます。グングル(足に付けた鈴)が綺麗に響き渡る。クリシュナを愛する町の娘たち。踊る者、演奏する者、歌う者。そういったきらきらした楽しい風景。詩に登場する楽器として以下があります。
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ビーン(Been):古代インドの笛。蛇使いの笛に似た管楽器。
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ダフ(Daf):タンバリンに似た枠太鼓。
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ジャーンジ(Jhaanjh):小さなシンバル。
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ムリダンガ(Mridanga):南アジアの古典音楽や舞踊の伴奏に用いられる両面太鼓。
ファルマイシュ・ティハイ(Farmaish Tihai)
ティハイは既出。「ファルマイシュ」はリクエストや注文を意味する言葉だが、必ずしも即興で為されるものではなく、以下の如き複雑で高度なティハイを指すと理解してよいように思う。
このティハイは全体を3回繰り返すが、その大ティハイの中に小ティハイをもちます。
taketadigita taketadigita
taketa digita daketa
taketa digita daketa
taketa digita daketa
taketa digita ta dhet dha
taketa digita ta dhet dha
taketa digita ta dhet dha
全体が大ティハイで最後の段落が小ティハイです。小ティハイの3行の各最後の「dha」が、大ティハイの1 回目・2 回目・3 回目の サムに着地するように構造化されています。興味あるかたは巻き戻して数えてみてください。理解できると「よくこんなものを考えたものだ!」と感動します。
ドゥルッタ・ラヤ(Drut Laya)
最後は速いテンポのドゥルッタ・ラヤです。マッディヤ・ラヤから約2倍のテンポになります。しかしここでは直前のファルマイシュ・ティハイからほとんどぴったり2倍になっているので、拍子の数え方が倍になっただけで、テンポが速くなったとは感じにくいかもしれません。理屈を考えなければ似たようなものですから。
プラメル(Pramelu)
プラメルは、自然の音や楽器の音がボルに織り込まれるのが特徴です。例えばクジャクの鳴き声や蜂の羽音が、ボルによって表現されます。「クックー」や「ジージー」といった発声を聞き取ることが出来ると思います。
ジュガル・バンディ(Jugal Bandi)
ジュガル・バンディは掛け合いです。ヌリッタのクライマックスでよく披露される演目です。踊り手と打楽器奏者(通常はタブラ)によるリズミカルな応酬が特徴で、長いフレーズから短いフレーズへ、ゆっくりしたテンポから速いテンポへと展開します。
パールヴァティー・プラメル(Parvati Pramelu)
プラメルは既出。パールヴァティーは先述のとおりシヴァの妻です。この演目では、パールヴァティーとシヴァという二柱の神が、ラースヤ(Lasya、女性的な舞踊)とタンダヴァ(Tandava、男性的な舞踊)の対比を通じて描かれます。ボル自体はプラメルから借用しているあたり、興味深い演目です。
ガット・ニカス(Gat Nikas)
ガット・ニカスはヌリティヤを代表する優雅な演目です。
ガット(Gat)はは「動き」や「進行」を意味し、カタックの文脈では、純粋な表情とリズムで物語や出来事を描くことを指します。ガットに必須の要素として、チャール(Chaal、リズミカルな歩行)とパルタ(Palta、移行のための半回転)があります。ふつうパルタの前後でキャラクターが変わります。
ニカス(Nikas)は「現れる」「進み出る」を意味し、キャラクターの物理的な登場や動き、あるいは感情が特定の状態に到達し展開する様子を象徴します。
公演の構成自体が、このあたりからヌリッタからヌリティヤへ「進み出て」います。起承転結でいう「転」にあたる場面と考えられます。
チャクラダール・パラン(Chakradar Paran)
パランは既出。チャクラダールは「3回繰り返す」ことを意味します。パランを3回繰り返すのでチャクラダール・パランです。
「3回繰り返す」といえばティハイもそうでしたが、その違いは、ティハイはどの拍からでも開始され得るのに対して(それゆえほかの演目の完結部に配置できる)、チャクラダールは必ずサムから始まることです。
パカワジ・ソロ(Pakwaji Solo)
パカワジのソロです。
パラン(Paran)
パランは既出。
アビナヤ(ヌリティヤ) ビンダディン・マハラジのトゥムリ
いよいよ最後の演目です。
アビナヤは表現技法の総称です。ヌリティヤは感情や出来事を描く表現のことでした。異なる概念ではありますが、アビナヤがヌリッタにほぼ関係なく、ヌリティヤのための技法であるという実際的な事情があるため、ふたつはしばしば相互互換的に使われます。そのためアビナヤ(ヌリティヤ)と表記しました。
トゥムリは、インド古典音楽における歌唱形式の一つで、愛や献身といった感情を中心に表現する、叙情的で情感豊かなジャンルです。カタック舞踊の伴奏としてもよく用いられます。
作曲者のビンダディン・マハラジ(Bindadin Maharaj 1830–1918) は、ラクナウ派の基礎を築いた伝説的な舞踊家・詩人・作曲家で、特に数百ものトゥムリを作曲したことで知られています。ビルジュ・マハラジの祖父の兄にあたります。
この演目ではサートヴィカ・アビナヤ(Saatwika Abhinaya)が重要となります。ダンサーの心の状態や感情が外面である身体に現れ、それを観客に伝えるというアビナヤの一種です。
ここでダンサーはラーダを演じ、クリシュナへの情熱的な愛を表現します。象徴的にふたつの魂の合一を描きます。ラーダのクリシュナへの愛は人間の神への愛、神と一体になろうとする願いであり、この合一が最終的に「解脱(モクシャ)」を表します。こうした神への熱烈な愛と奉仕をインド思想の言葉でバクティ(Bhakti)と呼びます。
このトゥムリの題名は 「ビハリ・コ・アプネ・バス・カル・パウン(Bihari Ko Apne Bass Kar Paun)」 です。
「ビハリ」はクリシュナの別名で、「アプネ」 は「私自身」、全体で「どうしたらクリシュナを私のものにできるだろうか」という意味です。「どうしたら彼の愛を得られるだろうか」という、ラーダの心情をあらわすものです。
ラーダはクリシュナを愛し、彼を惹きつけるための方法を考える。美しい衣装や装飾で飾る。不安になってドゥパッタ(スカーフ)で顔を隠したり、鏡で自分の姿を確認したり、忘れ物がないかを入念にチェックしたりします。
ティカ(アクセサリーのひとつ)をつけ忘れたことに気づくと、素早く装着して満足し、長いドゥパッタで身を覆い、クリシュナのことだけを想う。
唐突にラーダは「Lagi Na Paye Tati Biriya」と考える。「強い日差しがクリシュナに害を与えないように」という意味です。窓を閉め、カーテンを引き、涼しく穏やかな空間を整えます。クリシュナを迎え入れ、手を広げて座るように促し、やさしい息で愛を伝えます。
ラーダは美しいジュラ(ブランコ) に乗って踊り、クリシュナともに優雅に遊びます。ブランコはインドに起源し、ヴェーダの時代から儀式に用いられてきました。その往復が天地・生死・男女などさまざまな二項性を象徴すると考えられたからです。ラーダとクリシュナの物語でも頻出するモチーフです。
「Jahaan Jahaan Charan Rakhe More Prabhu ji」 という詩節が聞こえます。これはラーダの誓いの言葉で、その聖なる蓮の足が置かれる場所すべてに愛を捧げ、その場所を見つめるという意味です。
クリシュナを子供のようにかわいがり、いたづらにフルートを取り上げたり、悲しげな表情を見てすぐに返したりします。「Binda Sovan Lage More Prabhu Ji(クリシュナは眠そうに見える)」ので、彼のために花を集めて花びらのベッドを作ります。
ラーダはクリシュナの足をもみ、眠るように促します。すべてはラーダのクリシュナへの愛であり、それは人間の神への愛の比喩です。そのように献身できること、崇高な対象に没我できることが喜びです。
最後にはふたりはひとつになる。神とひとつになった。すなわちすべてのインド思想が目指すところの「輪廻からの解脱」が実現された、ということになります。
男女間の愛の交感が、形而上学的な思惟の比喩として成立する。まことにインド的な表現と思います。