江戸川カタック社
北インド古典舞踊カタックを学ぶ教室です。
可愛いクリシュナ

☝月をせがむクリシュナ ニューデリー国立博物館にて筆者撮影
目次
クリシュナとは誰か
可愛いクリシュナの小さなおはなし
クリシュナとは誰か
青い肌の第八の男
クリシュナは日本での知名度は高くないかもしれませんが、インドではいちばん人気がある神様です。『マハーバーラタ』をはじめとするさまざまな神話、伝承、文学作品に登場し、「インド神話ユニヴァース」における最大のスターといえます。
インドの子供たちはアニメーションや絵本でクリシュナにまつわるたくさんの断片を読んだり見たりしていくうちに、おのおのクリシュナの像をつくります。
以下に紹介するように、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナが最も有名で、また思想的にはいちばん重要ですが、クリシュナの存在を特別なものにしているのは、『ギーター』のみならず「インド神話ユニヴァース」のあちこちに登場するその小さな造形と物語がどれもこれも魅力的であることによります。
力、智慧、優しさ、神秘性、セックスアピール。クリシュナは人間が求めるありとあらゆる個性と徳目を一身で体現します。しかしこのような「大人」の魅力だけではおそらく最大のスターにはなれなかったでしょう。すべてを「可愛い」が包み込んでいる。ここが最大の肝であろうと思います。
クリシュナはかなり乱暴なことをしますし、女達の服を奪って裸にしておいてヘラヘラするような助平な男ではありますが、とても可愛いのです。特に子供時代の意匠と小さなおはなしがやたらと可愛いのが効いていると思います。
そうした可愛いイメージの奔出については後半の「可愛いクリシュナの小さなおはなし」をお読みいただければと思います。

東京国立博物館研究情報アーカイブズより
はじめにクリシュナの造形と意匠の特徴を述べます。
なんといっても美しい青い肌。英語では Dark Blue と表現されることが多い。深い青、濃紺といったところでしょうか。この深い青は神聖性や宇宙の無限性を象徴しています。
それから横笛(バンスリ)を持ちます。クリシュナは牛飼いなので、笛の音で家畜を動かします。また村人たち、ことに女性たちを美しい笛の音で魅了し、とろけさせます。
頭に王者のしるしの冠を載せ、そこにクジャクの羽が付いています。クジャクはインド古来より信仰の対象で、仏教では「孔雀明王」と神格化され、現代でも「国鳥(National Bird)」とされています。
理由は第一に羽を広げた姿が壮麗で美しいから。第二に乾季の終わりに求愛行動をとり恵みの季節モンスーンの到来を告げる存在だから。第三に毒に強いとされたから。つまり調和、豊穣、破邪を象徴するいきものなのです。
それから黄色い服(ピタンバラ)、胸に輝く宝石(カウストゥバ・マニ)、蓮の花(パドマ)といった装飾が有名です。このページにはクリシュナの写真をたくさん載せますので、確認してみてください。
さて、クリシュナは実在した宗教指導者だったそうです。古代インド文学の研究者として著名な上村勝彦博士の『インド神話 マハーバーラタの神々』から引用します。
(・・・)クリシュナはヤーダヴァ族の精神的指導者であり、新宗教の創始者でもあった。それは、その神をバガヴァットと称し、主としてクシャトリヤ(王族)階級のために説かれた通俗的宗教で、実践的倫理を強調し、神に対する誠信の萌芽をも含んでいたと想像される。
クリシュナはその死後、自ら説いた神と同一視されるにいたったようである。この新興宗教は次第に勢力を拡大したので、バラモン教の側もこれを吸収しようとして、バガヴァット(クリシュナ・ヴァースデーヴァ)を太陽神ヴィシュヌの一権化と認めた。
やがて、ヴィシュヌが最高神の位置を確保するにおよび、クリシュナ・ヴァースデーヴァは一種族の最高神から向上してバラモン教の主神と同化した。その後さらにウパニシャッドにおける最高原理ブラフマンも、ヴィシュヌ・クリシュナの一面とみなし、バーガヴァタ派のバラモン教化は完成した。295-296頁
引用中の「バラモン教」は現在の「ヒンドゥー教」と考えて差し支えありません。クリシュナは新宗教の創始者であった。死後に神格化されヒンドゥー教がこれを吸収した。インドの宗教の生命力を感じる展開です。
どうやって吸収したか。「化身(アヴァターラ)」というシステムによって。神Aは神Bの化身である。だから違うけれど同じ、A=Bなんだと。実に便利なシステムです。神とイエスと精霊はひとつであるという三位一体説がキリスト教にありますが、インド神話はその等式をほとんど際限なく拡張していきます。
ヴィシュヌは十の化身をもつことで有名ですし、だいたい有力な神は似たような性質を持ちます。シヴァはルドラと同じで、シヴァの妻パールヴァティはウマでもあればカーリーでもあるというように。

☝横笛を吹くクリシュナ ニューデリー国立博物館にて筆者撮影
クリシュナは「八」という数字に縁付けて神話化されています。
クリシュナの父はヴァスデーヴァ、母はデーヴァキーといいます。ふたりは暴君の兄・カンサによって牢に幽閉されてしまいます。なぜならカンサに「デーヴァキーの八番目の子が自分を滅ぼす」という予言が下されたからです。
牢の中でふたりには子が出来ますが、産まれてくる子をカンサは次々に殺していきました。幽閉から八年目に八番目の子としてクリシュナが誕生しました。それはバーダラパダ月(ヒンドゥー歴の第六月、ここは六なんです)の、満月から新月へ向かう八日目の深夜のことだった。
そしてそのクリシュナはヴィシュヌの第八の化身ということになっています。まことに八づくしです。これはいわゆる「ぞろ目効果」(いまわたしが考えました)による神秘化です。
「ぞろ目効果」とは、関係のないはずの場所に同じ数字が並んでいるとそこに「意味」を見い出してしまうことをいいます。表面的な関係が見えないほどに「人知を超えた意志」を予期してしまうので、聖性の演出によく利用されます(陰謀論にも)。
日本の物語では「竹取物語」がそうです。かぐや姫は身長三寸で生まれ、三か月で成人し、その祝いの宴会は三日間続き、名付けの親は三室戸斎部(みむろどいんべ)、帝と歌の遣り取りをするのは三年。見事な三づくしです。
「トイレの花子さん」もそうです。校舎三階のトイレの三番目の戸を三度叩いて花子さんの名を呼ぶ結構となっています。
思うに、異なる文脈に同じ数字が出てきたとき、人間の脳はそれらをひとつの物語につなげようとし、ここに認知的跳躍が生じる。この「跳躍」が霊的次元との接続を予感させる、スピリチュアルな感覚を呼び起こすのではないでしょうか。

☝戦士アルジュナと御者クリシュナ フィラデルフィア美術館
ヒンドゥー教最大の聖典『バガヴァッド・ギーター』
インドの二大叙事詩に『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』があります。ともにヒンドゥー教の文学であり、聖典でもあります。
一本筋の通ったおはなしとして面白いのは『ラーマーヤナ』のほうで、ラーマという王子が誘拐されたお姫様を助けるためにお猿の従者と冒険に出るはなしです。ちなみラーマもヴィシュヌの化身です。
『マハーバーラタ』はバラタ族の戦争のはなしですが、厖大かつ雑然としていて通読には適さず、部分部分が切り取って読まれます。第6巻の23~40章にあたるのが『バガヴァッドギーター』です。
『バガヴァッドギーター』は「尊き神の歌」という意味で、尊き神(バガヴァッド)とはクリシュナのことです。ヒンドゥー教最大の聖典とされ、ガンディーが愛読したことでも有名です。
『論語』、『聖書』、『コーラン』などと比べて圧倒的に分量が少ない、すぐに読めてしまうたいへんありがたい聖典です。
アルジュナは戦士、クリシュナはアルジュナが乗る馬車の御者です。アルジュナは戦場にあり、敵の中には親族がいる。血のつながったものを殺さねばならないことにアルジュナは怖気づく。『ギーター』はそこから始まります。
私の四肢は沈みこみ、口は干涸び、私の身体は震え、総毛脱つ。(一・二九)
私はまた不吉な兆を見る。そしてクリシュナよ、戦いにおいて親族を殺せば、よい結果にはなるまい。(第一・三一)
『ギーター』は戦闘の直前に座り込んでしまったアルジュナに対して、クリシュナが「立ち上がれ」と鼓舞するはなしです。その鼓舞する説法に、のちに最大の聖典と呼ばれることになるようなヒンドゥー教の思想が凝縮されているのです。
戦士を鼓舞するといってもむろん親族を殺すことや戦争を賛美するのではありません。戦争は人間が生まれ落ちた、どうにも動かせない、所与の状況の象徴です。そして戦いは人間が生きること、行為全般の象徴です。生きている以上、行為(カルマ)から逃れられない。
そこでクリシュナは結果に執着するなと説きます。成功と失敗、幸福と不幸を平等同一のものとして見、自分の定められた行為に専心せよ。平等の境地に達すれば苦しみから離れ、輪廻転生から解放される。すなわち解脱できると。
ご関心のある向きは岩波文庫で上村勝彦氏の日本語訳が出ていますので読んでみてください。同氏の「バガヴァット・ギーターの世界 ヒンドゥー教の救済」を先に読まれると理解が深まってよいと思います。
ここではいくつか有名な文句を引用しておきます。
苦楽、得失、勝敗を平等(同一)のものと見て、戦いに専心せよ。そうすれば罪悪を得ることはない。 (二・三八)
あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。 (二・四七)
自己の義務(ダルマ)の遂行は、不完全でも、よく遂行された他者の義務に勝る。自己の義務に死ぬことは幸せである。他者の義務を行うことは危険である。 (三・三五)
たまたま得たものに満足し、相対的なものを越え、妬み(不満)を離れ、成功と不成功を平等(同一)に見る人は、行為をしても束縛されない。 (四・二二)
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☝木陰で交わるクリシュナとラーダ メトロポリタン美術館
中世インド文学の傑作『ギータ・ゴーヴィンダ』
『ギータ・ゴーヴィンダ』の「ギータ」は歌、「ゴーヴィンダ」は牛飼い、あわせて「牛飼いの歌」という意味です。牛飼いはむろんクリシュナを指します。こちらは東洋文庫からすぐれた翻訳が出ています。その解説から引用します。
牛飼いの乙女ラーダーとヴィシュヌ神の化身であるクリシュナの恋物語『ギータ・ゴーヴィンダ』は、十二世紀の東インドの詩人ジャヤデーヴァによるサンスクリット文学史の最後を飾る叙情詩である。
恋人の自分をおいて他の牛飼い女たちと戯れるクリシュナに嫉妬し思い悩むラーダーは、親しい女友達に心のうちを綿々と語るが、女友達のとりなしで、やがてクリシュナの心もラーダーのもとに帰り、両者は再び結ばれる、という比較的単純な筋立てが、豊かな自然描写を背景に、劇的に謡われている。
詩人は、この単純な内容から、サンスクリット語の可能性を極限まで追求したともいえる技巧によって独特の世界を創造し、不朽の名声を残した。
読んだ印象を述べますと、「比較的単純な筋立て」というのは控えめな表現で、「すごく」単純な筋立てと感じました。気移りしがちがなモテ男のクリシュナが真の恋人ラーダとまぐわいましたというだけのはなしです。まぐわいまでに外的な障碍を乗り越えるわけでもありません。
ではなにが傑作と言われているかというと、それは翻訳では分からないのですが、サンスクリットによる原詩の韻律が素晴らしいのだそうです。南アジアを知る事典から引きます。
ジャヤデーヴァ(12世紀)作のサンスクリット恋愛抒情詩。〈牛飼いの歌〉の意。12章から成り、牛飼いクリシュナとして化身したヴィシュヌ神と牧女ラーダーとの官能的恋愛を主題として、劇的要素も含まれているが、その背後に神と人間との関係を暗示するものとして、神秘的意義が説かれている。
各種の韻律を用い、頭韻、脚韻などの修辞的技巧を駆使しつつ、熱烈なヴュシュヌ神崇拝の思想を高揚している。(・・・)この詩には各章ごとに音楽用語のターラ(拍子)とラーガ(旋律)の名が明示され、作者の音楽的知識をうかがわせるものがある。
朗誦の動画を貼り付けました。一語一語の意味はわかりませんが、歌の感じはつかむことができます。
この雰囲気を前提に、外国人が翻訳で読んでも理解できる魅力は、まぐわいの描写における官能です。汗と体液がふたりの肌にこすれる、香り立つような猥雑さがある。これはとてもいいものです。
若芽の褥(しとね)に横になったわたしの胸のうえに、あのひとは長いあいだ横たわっていた。わたしは、あのひとを抱きしめ口づけした。あのひともわたしを抱きしめ、下唇を飲んだ。
註によれば「下唇を飲む」「下唇から甘露を飲む」は接吻するという意味の定型表現だそうです。「下唇」うんぬんという文句は全篇にわたって繰り返し登場します。インド人は特に下唇に官能をそそられるのでしょうか。
わたしの足の宝石(をつけた)足環が響いた。あのひとは、いろいろに愛してくれた。緩んだわたしの帯が響いた。あのひとは、わたしの髪をつかんで、口づけしてくれた。
「いろいろに愛して」とは「さまざまな体位を用いた」という意味、「足環が響いた」のは下になった女性の足を男性が持ち上げるから、そして「帯が響いた」のは女性が男性の上になっているのを示しているとのこと。素晴らしいセックスをしたのですね。
で、この官能の悦びが神と人間との関係のメタファーであるとされているのは興味深いことです。男のクリシュナは神の化身で、いろんな女性と関係をもつ。女のラーダは人間で、ただクリシュナのみを猛烈に愛する。性愛の昇天が神との合一=解脱となります。
『ギータ・ゴーヴィンダ』の少し前に日本では『源氏物語』が書かれました。光源氏もクリシュナと同様にモテ男の色男ですが神の化身ではありません。世俗世界の貴族が近親相姦を含むさまざまな性愛を繰り広げるはなしですね。そういう比較をしてみるのも面白いかもしれません。
カタックにおけるクリシュナ
カタックにおいてもクリシュナは最も重要な神となっています。カタックのヌリティヤ、すなわち物語を語ることや感情表現を目指す演目で主題とされるのはクリシュナとラーダの物語が圧倒的に多いのです。
事実、上掲の「完全解説:カタック公演」では28分ごろからの「カヴィッタ」と45分ごろからの「トゥムリ」で演じられています。詳細は動画および当該ページの解説をお読みください。
以下、少し専門的になります。
クリシュナ伝説のことをインド舞踊の文脈で「ラース・リーラ(Raas Leela)」と呼びます。もうひとつ、ラース・リーラに関連する概念でナタワレ(Natwar)というのがあります。
ナタワレとはカタックの神としてのクリシュナ、踊るクリシュナのことをそう呼ぶのです。それゆえカタックはナタワレ・ヌリティヤ(Natwar Nritya)と呼ばれることがあります。クリシュナのダンスという意味です。
ともに Rachna Ramya 氏の「Kathak: The Dance of Storytellers」に詳しい説明がありますので、以下に訳出しておきます。
ラース・リーラ(Raas Leela)は伝統的なクリシュナ物語の一要素であり、麗しい満月の夜、ヴリンダーヴァンの森でクリシュナがラーダー含む乙女たちと踊る場面のことをいう。
raas はサンスクリット語 rasa の派生語で美学を意味する。leela は聖なる動作、聖なる芝居のことで、同時に世界がそこから展開される究極的意識を示しているともみなされる。伝説によれば、クリシュナはその聖なる力によって満月の一夜をヒンドゥー教ヴェーダ周期におけるブラフマーの一夜の長さに引き伸ばした。これはおよそ43.2億年に相当する。
ラース・リーラはマンダラすなわち円形をなして演じられ、聖なる恋人ラーダとクリシュナが円の中心に位置する。この踊りのあいだクリシュナはすべての牧女(ゴーピー)と踊るために自己の分身をつくりだす。それぞれの牧女は個人の魂を象徴している。ラース・リーラは魂が霊的次元において神と一体化することを希求するさまを描いている。 63頁
シヴァは破壊の神である。クリシュナは宇宙を保持する神ヴィシュヌの化身である。シヴァはすべてのインド舞踊を統べる舞踊神ナタラージャ(Nataraja)でもある。
そしてクリシュナはカタックの神としてナタワレ(Natwar)とも呼ばれ、彼のリーラすなわち聖なる芝居によって讃えられる。シヴァとクリシュナは根源的かつ究極的な同じ力の対照的な面を象徴している。
シヴァのダンスは躍動的で活力に溢れ暴力的でさえある。クリシュナのダンスは気品と情緒があり、いつも蠱惑的である。
秋、満月の夜、クリシュナが優美な横笛を奏でると、ゴーピー(ブラジ地方の牧女)たちは魅惑的な音楽のとりこになり、美しい青い神クリシュナへの高潔な愛がこころに生まれる。
クリシュナの完全にして魔的な愛に満たされた彼女たちは森の茂みのなかにやってきて、チャーミングなクリシュナとラース(raas)の踊りを踊る。クリシュナはマーヤー(maya 幻覚力、この宇宙的魔力によって物質世界が現実として存在する)をつかって多くの自己の複製をつくりだす。
彼は各々のゴーピーと輪を成して神聖な愛の踊りを踊る。輪の中心にはクリシュナとそのミステリアスな愛人ラーダーがいる。彼らのラース・リーラが天上的な忘我の域にまで達したとき、すべての二元性が消滅する。
時間はブラフマーの一夜、およそ43.2億年にまで引き延ばされ、ゴーピーと彼女たちの魂は宇宙そのものであるクリシュナと合一する。 22-23頁
可愛いクリシュナの小さなおはなし

☝クリシュナが口を開くと宇宙があった ハーバード美術館群
泥団子を食べるクリシュナ
クリシュナがまだ小さい、歩き始めた年頃のはなしです。クリシュナは兄のバララーマとその友達と一緒に果樹園の果物を採って遊んでいました。小さなクリシュナは彼らのように木になった実に手が届かないので、地面の泥を丸めて口いっぱいに詰め込むのでした。
それを見た他の子がすぐにクリシュナの養母・ヤショーダのところへ行き、クリシュナが泥を食べていることを伝えました。ヤショーダは駆けつけると本当かどうか確かめようとしました。
しかし口を見せなさいと言ってもクリシュナは頑として口を開けようとしません。中を見せたら怒られるのがわかっているので、ぎゅっと口を閉ざしています。ヤショーダは今度は少し厳しい調子で口を開けるよう言いました。クリシュナはしばらくヤショーダを見つめた後、仕方なくゆっくり口を開けました。
ヤショーダが覗き込むと、そこには全宇宙がーー地球も月も、星々も銀河も、動的なものも静的なものもーーそれらすべてがありました。ヤショーダは驚いて言葉を失いました。そして厳かな気持ちでクリシュナを優しく抱きしめたのでした。
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☝バターを盗むクリシュナ メトロポリタン美術館
バターを盗むクリシュナ
クリシュナはバターが大好物で、機会を見つけては母親や村の女たちからバターを盗んでこっそり食べていました。村の母親たちはそのことを知ってから、バターが盗まれないようさまざまな工夫をするようになりました。
例えばバターの入った壺を天井にくくりつけ、クリシュナと仲間たちが届かないようにするというのがそのひとつです。小さなクリシュナたちは手を伸ばしても力いっぱい飛んでも壺に手が届きません。そんなときは屋根に登って天井の瓦を動かして壺を落としたり、からだでピラミッドを作ってそれに乗って盗んだりしました。
大人たちの工夫に対抗してクリシュナと仲間たちもまた知恵を絞ってバターを盗むのです。どうしてもうまくいかないと、小石を投げて壺を割り、落ちて来たバターを口を大きく開いて食べるといった乱暴なこともやりました。
村の女たちは母親のヤショーダに訴えました。ヤショーダは謝り、反省させるためにクリシュナを紐で縛ることにしました。しかし紐の長さが足りません。次々と紐を長くするのですが、その度にどうしても二指分ほど短くなる。クリシュナは母が不思議がっているのを気の毒に思い、進んで縛られてあげることにしました。
おかげでヤショーダはクリシュナを臼に縛り付けることが出来ました。けれどその程度ではクリシュナのいたづら心と並外れた力を抑えることは出来ません。クリシュナは縛られたまま臼を引きずって外に飛び出すと、友達を探しに森へ向かいました。
途中、二本の巨木に臼が引っかかって動けなくなりました。ところがこれもクリシュナが「えい」と力を入れると巨木は根こそぎに倒れてしまいました。
この二本の木は聖仙ナーラダの呪いによって木に変えられていたナラクーバラとマニグリーヴァでした。クリシュナは図らずもふたりの神を助けたのでした。

☝プータナーの乳首を吸うクリシュナ メトロポリタン美術館
羅刹女の乳首を吸うクリシュナ
カンサは怖ろしい羅刹女・プータナーにクリシュナ殺しを依頼することにしました。
プータナーは森の奥の洞窟に暮らしています。無慈悲なカンサは、クリシュナの正確な居場所が分からないのでいっそのこと王国で十日以内に生まれたすべての子供を殺してもかまわないと言いました。
冷酷なプータナーは喜びました。領地に住む者みな怖れおののくに違いない。名を聞いただけで震え上がるだろう。想像するとプータナーは嬉しくてたまりません。カンサはそこでひとつの注意を与えました。クリシュナはただの人間ではない、ヴィシュヌの化身であると。
プータナーはすぐさま仕事に取り掛かりました。王国の赤子を次々と殺し始めたのです。勢いに乗じて隣国の子供まで殺す無道ぶり。やがてプータナーはクリシュナが暮らす村にたどり着きました。
プータナーはさまざまな魔術をあやつる悪魔です。怖ろしい姿を見られては村人の攻撃を受けるかも知れません。それを避けるためにプータナーは美しい娘に化けることにしました。そして蛇の猛毒を乳首に塗りました。
彼女が村に入ると、美しい乙女の登場に村人たちは目を奪われ、クリシュナを祝福するために女神が天上から降りてきたのだと考えました。プータナーがナンダの家を尋ねると、すっかり騙された村人はあっさり場所を教えてしまいました。
プータナーはナンダの家に入りました。クリシュナが揺り籠で眠っています。ただの人間ではなく神の化身であることがプータナーには一目でわかりました。彼女はカンサの忠告を慎重に反芻しました。
クリシュナは部屋の中で女達に囲まれています。プータナーは自己紹介をして、クリシュナに自分の乳を与えたいとヤショーダに伝えました。ヤショーダもまたその美しい娘を女神だと思い、許しました。
プータナーはクリシュナを抱き上げて裏庭に出ると、胸を出し、クリシュナの口に乳首をふくませました。ほどなくしてクリシュナは生気を失うはず。
思いきや、反対にプータナーは自分の力を吸い取られているような気がするのです。驚いたプータナーは急いでクリシュナを引き離そうとします。けれどもクリシュナはしっかと抱き着いて離れません。
プータナーはクリシュナを脅かそうと変身を解いて本当の姿に戻り、空高く飛び上がりました。それでもクリシュナはどこ吹く風という様子、やっぱり乳首を吸っています。やがてすべての生気を吸い尽くされ、力を失ったプータナーはあえなく地上に落下しました。
クリシュナはこのようにあっけなくカンサからの刺客を返り討ちにしたのでした。

☝カーリヤを懲らしめるクリシュナ メトロポリタン美術館
毒竜の頭上で踊るクリシュナ
ラマナカという島にカーリヤという怖ろしい毒をもつ多頭の竜が住んでいました。カーリヤはガルーダ(ヴィシュヌが乗る神鳥で邪蛇たちの天敵)から逃れるために島を離れ、家族とともにヴリンダーヴァンを流れるヤムナー川のほとりに暮らすようになりました。
ガルーダはかつて聖仙の呪いを受けヴリンダーヴァンでの死を予告されていました。カーリヤはそのこと知っていたのです。カーリヤの猛毒は凄まじく、ヤムナー川は湧きたち泡だち、黒く変色しました。村人とたちは川に近づくことが出来なくなりました。
ある日のこと、クリシュナは仲間とヤムナー川の岸でボール遊びをしていました。カーリヤの住処のそばです。もののはずみでボールが転がり川に落ちてしまった。仲間たちの制止を無視して、クリシュナは川に飛び込みました。
大勢の村人が心配して様子を見に来ましたが、毒を怖れて誰も川に入ろうとはしません。しばらくすると川の中からカーリヤが現れクリシュナに襲い掛かりました。カーリヤは牙を突き立てようとしましたがクリシュナは俊敏に身をかわします。牙は空を切り水面を打ちました。
怒ったカーリヤはクリシュナに巻きついて川深くに引きずり込みました。しかしクリシュナは神力をつかって巨大化し、たやすくほどいてしまいました。カーリヤは体力を消耗しています。クリシュナはカーリヤの尾をつかんで水面へと引き上げて頭に乗りました。
カーリヤは全宇宙が自分の頭に落ちてきたような重さを感じました。クリシュナは尾をにぎったままもう片方の手をフルートを吹き、カーリヤの上で踊りました。カーリヤはクリシュナの重さに耐えかね、大量の毒と血を吐きました。
カーリヤの妻たちはクリシュナに慈悲を乞いました。カーリヤは自身の行いが誤りであったことを認めました。そしてクリシュナがただの子供ではなくヴィシュヌの化身であることを悟りました。
クリシュナは警告を与え、カーリヤを赦し、家族とともラマナカ島に戻るよう言いました。カーリヤはクリシュナの言葉に従い、二度とヴリンダーヴァンに近づくことはありませんでした。

☝ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ インド博物館 (コルカタ)
小指で山を持ち上げるクリシュナ
ヴリンダーヴァンの人々は農業と畜産によって自立して暮らしていました。ふさわしい時期に充分な雨が降ることが彼らの生活にはとても重要です。それゆえ雨風をつかさどるインドラは崇拝すべき神でした。旱魃の年にはインドラを喜ばすために犠牲祭をおこない、供物を捧げました。
その年は雨がたくさん降りました。村ぢゅう緑のないところはありません。村人たちは村長のナンダと相談してインドラを祝福する感謝祭を催すことにしました。祭りの日、人々は早起きして家を清め、あちこちを花と灯りで飾りました。
そのことを知らなかったクリシュナは、朝目覚めると、いたるところで祭りの飾りつけをしているのを見て嬉しくなりました。クリシュナは祭りの理由がインドラへの感謝であることを知って驚きました。
クリシュナはみなを呼び寄せて、「雨を降らせるているのはインドラではなくあのゴーヴァルダナ山だ。豊作は山の恩恵なのだから、インドラではなくゴーヴァルダナ山に感謝すべきだ。」と言いました。村人はインドの怒りを怖れて反対しました。クリシュナは反論します。
「水を含んだ雲がゴーヴァルダナ山に近づくと山にぶつかって雨を落とす。川と池が水で満たされる。その水がわたしたちの生活水となる。では、インドラとゴーヴァルダナ山と、生活維持のためにはどちらが大切でしょう。」
クリシュナの論理に抵抗できる者はいませんでした。ナンダもしぶしぶ同意しました。そうしてゴーヴァルダナ山を祝福する祭りに変更することになりました。
インドラは怒り心頭です。ただの少年の思いつきからそうなったという事実がことに不愉快です。インドラはまだクリシュナがヴィシュヌの化身であることを知らないのです。インドラは雲を呼び集め、ヴリンダーヴァンに大洪水を起こすよう命じました。
ヴリンダーヴァンに大雨が降り始めました。やがて洪水となり村はきっと呑み込まれてしまうでしょう。村人たちはクリシュナに助けを求めました。クリシュナは村人に、このような危急の時にこそゴーヴァルダナ山が助けてくれるに違いないと言い、みなと連れだって偉大な山のふもとへ向かいました。
ゴーヴァルダナ山に到着すると、クリシュナはやおら山の下に手を入れて山全体を持ち上げ、まるごと左の小指に乗せてきれいに平衡させました。そうして人々にこの傘の下に入るよう言いました。同時に不安を鎮めるためにもう片方の手で笛を吹きました。聖なる音色に人々は憂いを忘れ、踊り出す者もいました。
雨は七日と七晩のあいだ続きました。その間ずっとクリシュナは山を小指で支え続けました。インドラはこの少年がヴィシュヌの化身であることをついに理解しました。雲に雨を止めるよう命じ、五頭の象(アイラーヴァタ)を駆って天界から降りて来ました。
インドラはクリシュナの前にひざまづき、自身の傲岸不遜のふるまいについて謝罪しました。クリシュナは赦しました。ヴリンダーヴァンのひとたちはこの顚末にほとんど恍惚としながら家路についたということです。

☝ゴーピー(牧女)を恥づかしめるクリシュナ ウォルターズ美術館
女達の服を奪うクリシュナ
たくましく成長したクリシュナは女たちの愛情の対象となりました。特に秋の季節にクリシュナの吹く笛の音は村のゴーピー(牛飼女)たちを夢中にさせました。誰もがクリシュナの夫になりたいと願いましたが、クリシュナの方はあいかわらずのいたづら好きで、かつ移り気です。
ゴーピーたちはヤムナー川で沐浴するのが日課です。ある朝、服を脱ぎ身体を浄めたあと、遊びごころを起こして戯れはじめました。クリシュナと仲間たちは女たちが水遊びに夢中になっているのを見つけると、川岸に脱ぎ捨ててあった衣服を奪って木の上に登りました。
それに気づいたゴーピーたちは、なぜそのようなことをするのかとクリシュナをなじります。「君たちを悦ばせ、悦んでいる君たちを楽しむためだよ。さあここまで来てごらん。」とクリシュナ。
女たちは恥部を手で隠しながらしぶしぶ水から上がりました。一糸まとわぬ姿を見られている羞恥心と、自分の羞恥心がクリシュナを楽しませている悦びが、こころのうちでせめぎ合いました。やがて後者が勝つあろうことはクリシュナにも女たちにもわかっていました。
クリシュナはゴーピーたちに自分に向かって手を合わせ頭を下げるよう求めました。女たちは言われたとおりクリシュナを礼拝しました。すると潮が引くように恥づかしさは消え、巨大な悦びで満たされました。
クリシュナは静かな微笑みを浮かべ、それぞれに服を返してやりました。